2010年1月公開
船は、歴史のある交通手段です。人が海を渡るときには必ず船が必要でした。フェリーは、橋の代わりに人と物資を運ぶ船として登場しました。
貨客船の時代 明治~第二次世界大戦 |
瀬戸内海では昔から海上交通が盛んでした。明治時代になると多くの船主が誕生し、蒸気船で周辺地域間の貨物・旅客の輸送を行うようになりました。商船三井の前身である大阪商船は、瀬戸内の船主55名が93隻の船を現物出資し1884年に誕生しました。 大阪商船は瀬戸内を中心に航路網を展開。時代ごとに最新鋭の貨客船を次々と就航させ、瀬戸内(阪神~別府)航路は日本で屈指の観光航路に成長しました。その後、同航路の運航を関西汽船(1942年設立)に移管、1960年代には1日4便を運航し、新婚旅行のシンボル的な存在へ発展しました。 戦前に瀬戸内海で活躍した貨客船
この伝統は戦後まで引き継がれ、1960年代にはくれない丸(3世)、こはく丸など数多くの旅客船が就航し、新婚旅行でにぎわう阪神/別府航路で活躍しました。 |
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フェリーの登場 第二次世界大戦以降 |
自動車と人を運ぶフェリーは、橋の代わりに人と物資を運ぶ船として登場しました。日本で最初のフェリーは、1934年に現在の北九州市沿岸の2拠点を結ぶ航路に登場した2隻とされています。航路距離は約400mで、当初は短距離のフェリーが中心でした。 その後の自動車貨物輸送の拡大とモータリゼーションの浸透に伴って、1960年代後半には、瀬戸内海をはじめ日本全国に長距離のフェリー航路が次々と開設。長距離フェリーは陸路のバイパスとしての役割を担うとともに、レジャーの旅客需要を見込んだ豪華フェリーも就航しました。 しかし、1973年・1980年の2度のオイルショックによる景気減速や燃料油の価格高騰が起きたため、フェリー事業の経営は苦しくなり、フェリー会社の統合や廃業などもありました。一方、輸送効率を向上させるため船舶の大型化が進められ、旅客施設の簡素化・個室化など、航路ごとに適した運営がすすめられるようになりました。 |